2012/12/10

読書に関する所感―主に、出会い方について。



今朝、寝起きの回らない頭に、
小説の冒頭を思わせる一連の文章が突然浮かんできた。
浮かんできたというより、滑り込んできたという方が合っているくらい、
無意識にするすると脳内に生まれてきたのである。

悔しいことに、その文章を書きとめる間もなく私は再び眠りにつき、
次に起きたときにはどんな空気の文章だったかも思い出せないほどに
そっくり忘れてしまったわけだが。



私は、小学校の卒業式で、卒業証書をもらったあとに檀上で
「私はモンゴメリーのような素敵な作家になりたいです。」
と宣言したほどに、作家を夢見る文学少女であった。

作家という夢も、文学少女であるという事実も、
自分で否定するつもりはないが、
昔のように原稿用紙に小説を書いてみることも、
図書館に通って本をむさぼり読むことも、
いつの間にか縁遠い習慣となってしまった。



私が本を前ほど読まなくなったのはいつからなのか。
答えは明白だ。高校を卒業してからである。
理由も明白。
単純に、本を借りる場所がなくなってしまったからだ。

それまでは学校の図書館があったが、
大学の図書館には小説がほとんど置いておらず、
自宅から通える図書館には開館中に行くことが困難で、
その上揃いもあまりよくなかった。

本は買わずに借りる派の私にとって、
それは本を読む機会を失うのに十分な原因で、
大学に入ってから私が読んだ本の数はたかが知れている。

この事実に対して私はたびたび向き合い、
割と深刻に思案することもあった。
そして今は、働いている書店の本を仕事の前後に読むことで
とりあえずよしとしている向きもある。



さて、私が今回の記事で取り上げたい話題は、
本を「読まなくなった」ことについてではない。
本の「選び方が変わった」ことについてである。

それが具体的にいつ頃からなのかはわからない。
高校に通っている間に変わっていったのかもしれない。

つまりどういうことかというと、
本の「ジャケ読み」をしなくなったのだ。

もっと分かりやすく言うと、
いつのまにか、有名な著者名や書評に惹かれて本を選ぶことしか
できなくなってしまったのである。

それも、私の場合は顕著で、
あるときから自分の好きな小説家の作品以外は
ほとんど読まなくなってしまった。

金城一紀、東野圭吾、伊坂幸太郎、石田衣良、有川浩、森絵都。

あまりにも狭くて、あまりにもありきたり。

別の小説家の作品を読むことなど、本当に少なくなった。



ここで、以前の私はどうだったのかを話そうと思う。
つまり、「ジャケ読み」をしていたときのこと。

中学2年まで住んでいた上柚木という町には、
駅前に南大沢図書館という市立の図書館があった。

私はそこに足しげく通い、本をたくさん借りては読んだ。
もちろん当時も倉橋耀子をはじめ、お気に入りの著者はいた。
だが、今のようにそこまで偏った選書はしていなかったと思われる。

特に、海外文学にも手を伸ばしていたことは、今との大きな違いだろう。
それも、海外文学棚を歩いて、気に入った装丁のものを読んでいた。

気に入った装丁のものを読む。
それこそが私の言う「ジャケ読み」である。

今でも強く覚えている作品がひとつある。
「ノースカロライナ州」が舞台で、作品名に「はちみつ」がついていた。
この2つの単語で検索してみたら、すぐに特定できたが、
驚いたことにダコタ・ファニング主演で映画化されていたようだ。
(本当におどろいた)

タイトルは、『リリィ、はちみつ色の夏』。
(映画名は、『リリィ、はちみつ色の秘密』。)

この作品のことを今でも覚えている理由のひとつに、
中学2年のときに家族で行ったヨーロッパ旅行に
持参したことが挙げられるだろう。
イタリアのホテルのソファで読んだことをぼんやり覚えている。

正直言って、作品の内容は当時の私には難しかった。
けれど、私はその今より理解力に欠ける頭で、
書いてあることを自分なりに噛み砕いて読んでいたはずだ。

おかげで私は、当時はほとんど知らなかった、
アメリカの黒人差別の問題を、少しは学べたのだ。



図書館の海外文学棚には、当時の私には到底読めなさそうな、
難しそうな本もたくさんあった。
その中で、少しでもかわいい装丁のものを見つけては、
少しあらすじを確認して借りていた。

『リリィ、はちみつ色の夏』は、表紙に瓶入りの蜂蜜が描かれ、
そして全体におだやかで温かい雰囲気のオレンジが使われている。
当時の私が好感を抱き、借りることを決めたのはよく分かる。

意外にも重いテーマを扱っていて、
読み進めるのがなかなか苦しかったのも覚えている。
けれど、そうして苦労して読むからこそ付いた力もあったことだろう。



今号の雑誌BRUTUSは、文芸特集。
私が大学に入ってからめっきり読まなくなった小説が、
そこには短編ながらいくつも載っていた。

有川浩、伊坂幸太郎のように私にとってなじみ深い面々もあれば、
木内昇、堀江敏幸、絲山秋子など、そうそうたるメンバーながら、
私にはさっぱり縁がない人たちもいる。

そうして久しぶりにいろいろな人の作品を読んでみて、
色々な人の作風を知って、色々な世界を知って、
やはり、いいな、と感じたのである。

それと同時に、もしここに載った人たちの他の作品を読んだところで、
また書評をあてにしてしまうのと同じわけで、
ああ、私はいつから自分の心の向くままに本を読むことを
忘れてしまったんだろう…と、少し寂しく思ったことから、
今回のこの記事を書くことにしたのだった。



友人のブログにも書いてあったように、
読書は確実に自分の力になるものだと思う。

それまで自分の知らなかった世界を知ることができる。
素晴らしいツールだと思う。

私は、いつのまにやら自分で狭めてしまった入口をこじ開け、
また前のように、名前も知らない本を心の向くままに選んでみようと思う。



ところで、私はあらゆる作家がそうしているように、
皆の知らない世界にスポットを当てて、
人々にその世界を伝えるための文を書こうと最近心に決めたのだけど、
それについてはまた機会があれば記そうと思う。

ひとまず、BRUTUSに載っていた朝井リョウの新作、
『世界地図の下書き』の第2話が、
最新号の小説すばるに載っているというので、
それを探すところから始めよう。(いまだ、出会えていないのだ)


皆さんに、すてきな読書体験がおとずれることを祈って。



参考リンク
『リリィ、はちみつ色の夏』
『リリィ、はちみつ色の秘密』
BRUTUS 2012年 12/15号
小説すばる 2012年 12月号